”あの時は(ルームサービス④)”

エッセイ

とにかく混乱した頭で、きょろきょろ周りを見ると窓に己の顔が映る。

”あんた、食べたね”

やはり誰が見てもそれとすぐわかる油でコーティングされた口。変な汗をかくのが自分でもわかるが、世の中捨てたものではない。

スタッフ廊下の端に、神様がいた。白い”紙”様。そう、リネンのワゴンの上に山と積まれたティッシュだ。

全く、信心深くない僕だが、その時は膝まづいて謝意を述べたいほどの喜びだった。

”晴あああ、れるや、晴れるやっ、ハレルヤッ・・”頭の中に大音量で鳴り響き一目散で神の前に走り、こうべを垂れてティッシュをとり、油を処理。ラップを戻し、神速でお皿に振動を与えソーセージを戻す。

もともとそのレイアウトであったかのように。

そのまま何食わぬ顔で、スタッフルームを出て目的の部屋に到着し、すがすがしい気持ちで

”お待たせしました、ルームサービスです”

今まで、散々な目にしか会っていなかったので(これはバブル故、皆さんお祭り騒ぎだったからと思いたい)、今回もそうだろうとたかをくくっていた。

”まあ、御苦労さま、学生さんのアルバイト?感心ねえ。”

招き入れてくださったのは、他県より岡山に観光に来られたばかりの非常に温厚な初老のご夫婦だった。

結婚40年目の記念で、先ほど到着されたばかりだとおっしゃられ、岡山の名所などを尋ねられた。

長い人生、苦楽を共にされた絆がはっきりと見えるほどの温和な空気があり、ぎらぎらした今までのお客様とは全く異なっていた。

”おいしそうなソーセージ、でも2人だと多いわね、少し召し上がりますか?”

奥様が言われたが、僕はあふれる涙を抑えるのに必死で”いえ、大切なものですので、お気持ちだけいただきます”と小さな声で言うのが精いっぱいだった。

ご主人が僕の声を聞いて、

”少し疲れているのかな?少ないけれどとっておいてください”とチップをポケットに入れられた。

何か言うと涙が出そうなので、早々にサインをいただき部屋を去った。

静寂と後悔、やるせなさ、愚かな自分への悔しさだけが残った。身勝手な欲望のみで善意の方々の大切なものを汚したのである。

スタッフルームに戻ると涙が一気にあふれた。もうつまみ食いはしない、己の欲望のみでは良いことはない、さらに泣いた。

ポケットに手を入れると500円玉があった。

今でも、自分を律する大切なもの、そして善意を感じる宝ものとして持っている。

ただしだ、自分が現在ルームサービスを頼む時にはカレーなどのつまみ食いのできない汁物にしている。いや、僕のようなふらちな者はいないか・・。

 

後記:原型は学生の頃に書いていたもので、ある程度加筆訂正したものです。あの時は馬鹿だったなあと感じる出来事があまりにも多く、残していました。ただ、これも時代でしょうね、全部ワープロです。今後余談のコーナーに随時残していきます。色々な年齢で、ああ、馬鹿だ。と思うことを数々していますので、自己満足のざんげで残します。当然表のページには載せません。

次回は”あの時は(江口少年の正念場)”です。小学生をおそった悲劇、その影響を被ったご家庭の悲劇、便意の恐ろしさを連載します。