父母考 今

父母考
頭を整理せんとだめですな。

そもそもこのブログは2009年に新形インフルエンザが出現し、現場が混乱。

そのためにはじめ、もう13年になりました。

当時の母は、75歳。ものすごく元気でしたね。

今年、頭の中が大混乱になるような事になるなど予想していませんでした。

もちろん1年前ですら。

今日は、保育園の健診等、院外業務で動きますが、母親の事も色々してまいります。

 

このブログで、公人ではない私の多くを記載しています。

これは先で私の記憶をよみがえらせるためです。

古い記事を見ていると、考えの浅さや能天気さに自分で苦笑することもございます。

 

父や母。特に他界した父以上に、現在を彼女なりに必死で生きている母への気持ちは

記載しておきたいです。

 

小児科は、とにかく成長、ポジティブな変化の科です。

子供のパワーもすごい。圧倒されます。

 

理事になる前は、そこまでわかっていなかった高齢医療、介護の問題。

本当に大きいですね。

 

1年前まで、もっと言えば今年の2月3日までは自分で身の回りをすべて管理し、一人で

買い物にも行けて、生活をしていた母。

自宅での骨折後、病院生活が6か月、現在はホームで過ごしています。

 

私自身、会議などのない日は、診療後必ず立ち寄り話をし、帰宅後も電話で話をしながら、

現在生活しています。

母のありがたさ、気に掛ける大切な親の存在も深く受け止めています。

 

これから最終章になるかなと思いましたが、昨晩訪ねた時、

”あんたの、下の名前はなんだったかなあ?”と言われました。

”尚彦だよ”というと、すぐに思い出したようですが、帰宅後電話で、同じ質問。

さらに、昨年、いや今年ほとんどの記憶も消えていました。

 

笑顔のまま、心が無、そして悲しみ。

 

小児では味わうことのない感情です。

 

しかし、神奈川の兄は帰りませんし、母を守り、生活を助けるのは私です。

この世に送り出してくれて、育て上げてくれた母には感謝しかありませんが、これから

複雑な感情も多々生まれるのかなと思っております。

 

父母考 最終章は、まだまだ先であってほしいですが、一人で抱えるのも結構な覚悟が

いりますね。ですがこれも親孝行と思い、公人としての医師、私人として息子の立場で

頑張ります。

 

人生100年時代。このフレーズにも色々思うこともあります。

 

この経験も活かし、より心のこもった小児科医療、頑張ります。

仕事は、ストイックに。母親との触れ合いも、子育てのつもりでストイックにいきます。

自分だけの時間は、一切の我慢をやめました。体がもたない。

 

笑顔で、元気よく診察できなくなったと感じたら、静かに聴診器を置きます。

 

では保育園まわりにいってきます。

 

 

コアラ人