父母考 最後のしつけ

父母考

母は、まだ肉体的にはしっかりとしていますが、内面に来ました。

とにかく認知症にだけはならないと必死で健康食品やサプリメント

適度な運動など頑張っていましたね。

昨日、認知症の専門の先生を受診。

結果は、僕も不勉強でしたが長谷川式認知症スケールで8点。

今後追加の検査もしますが、認知症になりました。

抗えないものですかね、人は。

人生時計で言えば、既に真夜中になっていますので寝ぼけている状態、

と考えなければなりませんが、家族としてはショックです。

 

物心がついたころからと言えば、50年ほど母親の変化を見ています。

強く、厳しく、優しく育ててくれたことも覚えています。

 

今後、母の人生がどのようになるのかは、全くわかりませんが、

昨日、のぞいた時に、

”新しいヘルパーさんですか?よろしくお願いいたします。”と言われ、

心は無。

笑顔で”よろしくお願いいたします。”としか言えませんでしたね。

 

親としての、最後のしつけかなとも考えています。

いざ、医学的に知っている状態に”家族”がなった時のショック。

普段の仕事で、人を絶対に症例などと考えず、寄り添うこと。

専門としている科以外での、知識のなさ、もろさ。

 

これらを教えられた気がします。

友人で最も信頼している、ミスター(大学時代のエッセイによく出ます)に

かつて”自分が経験していないことは、わからない”と言われ東日本での活動で

感じたことが伝わりにくかったことを思い出しましたが、実母の認知はきつい。

 

しかも、あっという間になりましたから、さらにでしょう。

 

ですがミスターに、”今は母が楽しいと思える環境づくりをして、喜んでいる

姿を見ることが結果、江口の安心になる”とアドバイスを受け、ヘルパーとして

可能な限り、話をします。認知にパーキンソン様の症状もありますから、会話の

キャッチボールにはならないのでただ聞き役ですが努めます。

 

どうしても3,4年前の母親が出てきますので、腹が熱くなる思いもありますが、己を

鍛錬して飲み込むしかないですね。

 

父は、今考えると63歳という若さで他界。

生前のイメージのまま。

母は、人生の幕引きをゆっくりと教えてくれているように思います。

 

普段が光り輝く発展をし、人生を謳歌する子供達ばかり見ている分ギャップが激しいですし、

30年後の自分は?という気持ちも出てきます。

 

これからが親子の真の向き合う時間になりそうです。

今の目標は、あと4か月ほどでくる母の誕生日を祝うことですね。

 

人生100年時代。在宅医療。

 

医療が先行して、家族を置いてきぼりにしていないかと感じています。

ものすごく大切な分野という事もわかっていますが。

 

母親の今後はどうなるのかなと、無で考えています。

本人は、ある種の恐怖から解き放たれていますので、そこは幸せなのかなと思いますが、僕は

どう接するか、懊悩ですね。心からの笑顔が消えていきます。

 

”あんた、何しょんで!”と目力でねじ伏せられていたことが懐かしい。

 

 

コアラ人