”あの時は(やらかした江口少年①)”

エッセイ

子供の記憶はあいまいだ。

僕自身、もっとも古いものを探してみると4歳のとき幼稚園初日に”もう4歳だからがんばりなさい”と母に言われた言葉だ。これもどこまで正確かはわからないが。

ただし強烈な出来事は鮮明に覚えている。

現在僕は岡山の北部で仕事をしているが、実家は岡山の南部で、現在の職場に近い小学校に、徒歩・バス・乗り換え・バス・徒歩で通っていた。

今考えれば大した距離ではないが、小学生、特に低学年のころは通学自体が大冒険だった。”初めての通学”なんていうタイトルで放映したいほど。

特に1年生の時は最初の徒歩がきつかった。まあ、色々と景色を見て楽しんでいたが。

ただ予期せぬ危機に直面すると余裕はなくなる。

その日は、よく晴れており気分よく出かけたが、ちょうどバス停に近くなってきたころに異変を感じた。

”おなかで祭りが始まった”

そんな風にとらえていたように思うが、すぐ祭りは終わった。気のせいだと安心し、さらに歩きだす。また祭りが始まる。しかも先ほどよりボルテージが上がった状態で。

”おや?”

立ち止まると祭りも終わる。当時は最初何が起きているのかわからなかったが、下世話な話で申し訳ない。突然のトイレ要求クーデターだった。

歩く、止まる、悩み、歩くを繰り返し、ようやく1年生の頭にも”危険なことになっている”と理解できた。

バス停まではずいぶんと距離が残っており、引き返すには遠すぎる。小学校まで我慢するにもとても無理だと、うすぼんやり感じていた。

子供なりにプライドもあるので、まさか車が行きかう道路で事に及ぶのは大間違いだと気付いている。

止まっていても、祭りはますます盛り上がる。そう、イメージは徳島の阿波踊りだろうか。圧倒的なエネルギーと止まることを知らないあの祭り。

それがどうやら自分の下腹部で開催されているのだ。

大粒の汗をかき、立ち止まり思案をするが、よい方法が浮かばない。危機に陥ると周囲を見るのは人間の性だが、オアシスを見つけた。

シャッターがあいたままになっているガレージである。

祭りを止めることしか考えられない少年は、ふらふらとガレージに近づく。

車の後ろに死角を見つけた。

”ここしかない”

危険を脱する絶好の場所。少年の中にはトイレを貸してくださいと頼む思考はなかった。非常に残念なことに。

足早にガレージの奥に入り込む。すぐに座り込み、車の後ろに隠れた状態で祭りをそのガレージに譲った。

下腹部の祭りは終わった。

”良かった、間に合ったあ”

頭の中で、ヒマワリが次々と咲く。このころからの癖なのだろうか、行ったことのないスイスの光景が浮かび、ハイジの声も聞こえる。

冷静になると次の行動に移るが、同時に周囲を観察する余裕も出てくる。

何かとんでもなく良くないことをしたのではという当たり前の考えが浮かんだ。なぜなら。

以下次号