”あの時は(やらかした江口少年②)”

エッセイ

僕が小学校1年生の頃といえば、時代的にも車はまだまだ高級品で専用のガレージがあるということは思い入れも強いということだ。

危機が去った後、精神的に余裕が出てきており、衛生面で必ず”ちり紙(ちりし、と呼んでいた今でいうティッシュ)”はしっかりと持っていたので作法にのっとり、事後処理をし、しかも水道があったので手を洗い安堵の息をつく。

まじまじと空間を見た。

銀色に輝く車。4つの丸いテールランプが見える。おそらく今考えるとスカイラインではと思うが、ガレージの中にゆったりとおさまっている。

近づいてみると自分の顔が写りこむほどぴかぴかだ。

水道があるということは、これも推測だが洗車もまめにされていたのだろうと思う。

僕の悲劇は終わったが、そのご家庭の悲劇は始まったばかりだ。

僕はひとしきり観察したあと学校に遅れてはいけないと思い、急いでガレージを出て、すがすがしい気持ちでバス停まで走っていった。

勝手なことに先ほどの悪いことをしたのではという気持ちもなくなっている。

当時の僕はそこで記憶が途絶えているが、思い返すと本当に申し訳ない。

朝の支度を済ませ、愛車での出勤。一日頑張ろうとガレージに入ると明らかに異臭が漂っていたはずである。

当然、ぐるりと車の周囲を見て回られたと思うが、発見した時には衝撃が走ったのではないだろうか。

僕が同じ立場にあれば、”誰が、しやがった!”と怒り心頭であろう。

物だけならば、犬か猫か・・、あーあ。と考えたかもしれないが、ご丁寧にちり紙が置いてある。

しかもだ、水道で手を洗った形跡も残っている。

鑑識の方を呼ぶまでもなく、人であることは明白で、やはり”誰なんだ、バカヤロー!!”となったのでは。

衝撃を伝え、心を落ち着かせるため、奥様を呼ばれ出てこられた奥様も”何、これ!”と衝撃を受けられたのではと思う。

そこのお家のすがすがしい朝の気配は、完全に

”やりやがったな”

モードに入り、重苦しく、暑く、熱く、異臭とともにぎすぎすした雰囲気になったであろうことは想像に難くない。

とりあえず、出勤はされたのであろうし、事後処理も怒り心頭でされたのだろうと思う。

今、考えれば小学生でもあり、平和な時代。トイレを貸してくださいと頼むべきだった。そこを思いつかなった自分が悔やまれて仕方がない。

祭りの悲劇は生理的なもので、小学生にとってピンチだったのは自分でもわかるが、そのために関係のないお家の方を巻き込み、さわやかな朝を悲劇のどん底に落とすことはしてはいけなかった。

小学校の帰りに、反対側の道路を歩いていて、急に朝の出来事を思い出し(つまり日中は忘れている)、おそるおそる見るとそのお家のガレージは、シャッターが下りていた。

現在、その方の家はなく別の建物になっているが、実家に帰るときには必ず思いだす。心からの謝意とともに。

神に誓った。

”もうしません。ごめんなさい。”

小学生の視野の狭さからくる失敗だった。

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。ここにざんげをしておきたい。今、僕の車が鳥の祭り場になっているのはそのせいだろうか。

 

後記:人は忘れる動物といいますが、あれほど神に誓ったくせに、僕自身はそのあとも母を激怒させるいたずらや自分自身も痛い目をみるいたずらを山ほどしています。

大学生になってもありました。そのことについては、前回の後記にも一部触れましたが、大学生の時に劣化させまいと残していました。

現在、小児科をしていて、子供の不思議な行動を見ると、重なりあう心理もあり、自戒と一種の自伝のつもりで今後も訂正したものを記載していきます。おふざけだけではなく、子供とは、またそのような子供にどう接するのが大人として正解なのか、理解できる部分もあり、週に2回ほどのペースで載せようと思っています。

次回、”あの時は(無知な大学生たち)”です。