うむっ!いや、ぐむぅう。家を出た時の感想です。

今日のお話
ヘイヘイヘイ。

わあと言いたくなる寒さ。先週が暖かく感じます。マフラーは必須ですね。

咽頭粘膜を濡らして、ウイルス対策をしましょう。

今朝の院内は特に寒い。路面も凍結が心配です。

夕方からは雪ですね。

雪が降っている感覚

インフルエンザ急増を見逃さないように向けて頑張ります。

先週だけで検査陽性の方50人近く、疑いの方も含めるともっと多いです。そして寒波です。

 

医学的な根拠がある話ではありませんが、親子関係を考える上での体験を一つ。

単なる読み物程度に思っていただけると幸いです。

僕自身は幼少期、母がものすごく怖かったです。

もちろんひどく叱られるいたずらをしていたからで、仕方がないのもわかっていました。

これは僕の記憶ではなく、母本人の言葉なので記憶違いなどはないはずですが、

必ず”何々をしたら、大変なことになるでしょう”と出来事を僕に理解させるように

話して怒っていたようです。

だから僕自身も、自分のいたずらを覚えているわけです。

あとは病気になると母は非常に厳しく接していました。

けれども注射なり、医療手技を受け、全く甘味などない薬を飲んで治ると、

ものすごくほめてくれていました。

何故、そういう方向にしたのかを尋ねてみると、病気になっている時に不眠不休で看病をし、

母自身ものすごく心配をしていたようですが、子供が動揺せず速やかに治ることが一番

なので必死に隠していたとのこと。治ったあとは自分も安心するし、頑張ったことをほめる

ようにしていたんですね。

 

正しい方法だったと思います。

 

腕を骨折したときも怒られながら歩いて病院に行き、治るとものすごくほめてもらい、

子供ながらに自分が悪くてしでかしたことへの責任、もしくは頑張らないといけないことを

無意識に覚えたのだと思います。

 

正直、当時の母は怖かった。

 

でもたくさんほめてもらえたことも覚えていますし、小学校の帰りに歩いていると迎えに来ている

母を見て喜んで走って行ったことも覚えています。

今は高齢になり小さく感じるようになった母の健康が常に気になっている日々です。

 

逆に父はとにかく寡黙な人で、僕が25の時に亡くなりました。いまだに彼の事を僕はほとんど知りません。

今はどうしているかというと、父を知る人たちに色々聞いて、永遠のゼロじゃないですが父親捜しをしています。

当然僕にも思春期はあり、成人になるまではしてはいけないことを中学時代にしたり、父母をうとましく感じ

母には口答えや八つ当たりを散々しました。父に至っては受験で遅くまで勉強の時に(台所で勉強してました)

夜中水を飲みに起きてくる彼へ無性に腹が立ち、あたっていたこともありました。理不尽ですね。

 

現在、母の健康と安全をとにかく思い、若き頃の父を探している自分、父母に似ている部分を見つけると

うれしくなる自分がいます。

子供にとって”絶対的に怖い、強い存在”の親だったからではと思っています。

今は子供さんにひざまづく教育をメディアが推進していますが、子供の未来を思うには、”愛情がたくさんの鬼”

になる必要は絶対にありますし、自分の形質を受け継いでいる”子供を信じ”、自信をもって接することが大切です。

 

子は親になり、親が子になっていきます。

強い親でいてください。自信に満ちた親でいてください。わが子が一番と信じてあげてください。

 

ブログにこんなことを書く理由は、他にもありますが48歳の僕の考え方を残しておきたい気持ちもあります。

もちろん医学的な根拠のある育児相談、健診をしていきます。

今週の感染症の情報も破格の体力でこなし、ご報告してい行きます。朝から長文ですいません。

今年はできるだけ毎日更新するつもりです。

よろしくお願いいたします。

 

江口尚彦  江口小児科