夕刻、芝刈りから源次郎が帰宅した。
彼は、引き戸を開ける前に普段と違う気配を感じ、歩を止め中の様子を伺った。
老いたりとはいえ歴戦の勇者の勘がそうさせたのだろう。
”何やら、赤子の声が聞こえるぞ。いかん、いかん。わしも老いたか、聞こえぬものが聞こえるのう・・。”
自嘲気味な笑みを浮かべ、家に入ると赤子を抱いたフミがいる。
にわかに理解しがたい光景。
”大殿様、いや源次郎様、フミは赤子を授かりました。”
何も聞こえなかったかのように、囲炉裏のそばへ荷物を置き腰を下ろした源次郎。
空腹と喉の渇きで置いてある桃を無造作にほおばった。
”うまい!この追熟のころ合いからして、穫れて3日ということか。”
しばし、天を仰ぎ桃を食べていた源次郎。
”フミ、子細を伝えよ。どこぞでさらってきおったのか?”
動揺を隠そうとしている源次郎に、優しい笑みでフミが言った。
”川を流れて参りました。これも神のご加護でございましょう。”
そして、洗濯の途中に流れてくる籐かごに気づいたこと。
川に入り拾い上げるとたくさんの桃と赤子が安らかに眠っていたこと。
世の流れを鑑みて急いで連れ帰ったことを話した。
しばし沈黙していた源次郎だが、頭の中では状況を把握し、流されるに至った背景をも想像していた。
発したのは一言だが、当時の世相を思えば幸運だったのかとも考えていた。
このころ徳川方の豊臣刈りは熾烈を極めており、”おのこ”は見つかれば間違いなく亡き者にされてしまう。
この赤子は、岡山に逃げてきた豊臣方の武将の子供だろうと理解していた。
続けて、静かに語る。
”おのこの様子から1歳ごろであろうなぁ。
その子が途中で目覚めれば、追熟前とはいえ、無意識に桃にかぶりつく。
桃は、食すと不老不死の薬じゃ¹。熟す前の桃とは考えたものよ。
(1:当時、桃は薬としても使用されていた。)
追熟したら日持ちもせぬ。芳醇な桃の香りで襲われることがあったやもしれぬ。
もはやこれまでと思うたときに、”ご加護”としたため流したか。
豊臣の旗印が刻印されたこの紙。
父親が重臣だった証。
断腸の思いで流したのであろうなぁ・・。
川の水面の動きが母の抱擁に似たゆれとなる。すこやかに生きよとの願いよぉ。
それにしても、流されて早く²に発見されたことが何より、何より。(2:桃の追熟には3日かかる)
この子は、神を味方につけた強い子じゃぁ。
考え抜き、苦渋の決断であったのだろう。
籠の作り³などをみても、さぞかし名のある武将の”おのこ”であろうなぁ。”
(3:三重に編み込まれた籐製のかご、大量の油紙をしきつめ川の流れでも沈まぬよう且つ保温効果もあり、桃を大量に置くことでバランスがとられている。相当な知恵である。)
桃を次々と食べる源次郎。
泣き疲れて眠った赤子を抱くフミ。
”これも何かの縁よ、いやわれらに救い出されることは必定だったのかもしれぬ”
久しぶりに生き生きとしはじめた源次郎を微笑み見つめるフミ。
”われらで、立派に育てようではないか。よいな!”
フミは無言でうなづく。
”山に捨てられていた赤子を、育てていることにする。村人の信頼は厚い。よもや疑うまい。
それにじゃ、川を流れたなど信じやせんか。まぁ、よい。”
フミがいった。
”して、名前はいかがいたしましょうか?”
”決まっておろう。目立たぬよう太郎じゃ。
良いか、幸運なこの赤子。
神からの授かりものとして、お主が家臣のように育てるではない。
子は育むわれらが、慈愛のもと厳格に、育てるのじゃ。
さすれば、これからの世でこの子が己を見失い、挫折などをせずにすむ。
甘やかせば、子は己を殿のように思い違えるもの。
先を考えてゆめゆめ犬や猫を愛でるようにはしてはならぬぞ!
あとは、そなたが楽に、自由に育てよ。わしとて尽力は惜しまぬ。”
徳川方に目を付けられることがないようにとの配慮だった。
また世の中で流されずに育ってほしいが故の厳しさ。
これぞ真の愛情であった。
無骨な源次郎が笑みを浮かべている。
フミも愛おしそうに太郎を抱く。
源次郎の真意も理解していた。可愛い子こそ、旅をさせよである。
甘やかすことが愛情ではない。
かくして今をさかのぼること400年前の冬。
1617年に”桃の屋太郎”が足守で誕生した。
(今年2017年は、生誕400年祭などがあってもよさそうだが、岡山は控えめだ。ない。)
この時、源次郎71歳、フミ64歳。老夫婦にも、希望の光がさした。
彼は、この先偉大な二人の叡智を吸収して育つ。
そして、温羅との騒動後、信州に赴き真田源三郎と出会い日本の歴史に深くかかわることになる。
また、1628年に生まれた水戸光圀との親交を持つようにもなるが、それはまだ先の事。
以下次号 毎週水曜日掲載です。
この作品はフィクションです。
コアラ人