桃の屋太郎 第一部の意味、三谷幸喜さんへの手紙。

桃の屋太郎

”太郎は、金品を民に帰し、”鬼退治の桃太郎”として、広く知られるようになった。

 

一回り成長した太郎は、風格すらまとっていた。

世の中に、勧善懲悪など存在せず、哀しみを背負うのは両者であり、

いたずらに武力を行使するのではなく、

裏付けを中心として、己の目で信じたものが事実であることを学んだ太郎。

 

さらなる高みを求めるようになった。

ただし、江戸幕府から桃の屋太郎への警戒は強まっている。

 

源次郎は太郎の本当の父親を知り驚愕した。

また幕府からの要注意人物として見られている彼へある秘策をさずける。

 

信州、沼田城主真田源三郎と出会うのは、まだ先である。

また水戸光圀公も血気盛んな少年だが、彼も桃の屋太郎の影響をいずれ受ける。

太郎自身、己の生まれ持った哀しみや宿命にまだ気づいていない。”

 

 

更なる飛翔、そしてエンターテイメント性の高いフィクションのため、

桃太郎は旅立ちます。

日本人ならほぼ知っている物語のルーツ、そして桃太郎の秘密と哀しみ。

 

 

完全なおふざけのようですが、意味もこめています。

今、すごい勢いで時代が変化しています。そこについていくためにも。

 

本来の桃太郎伝説はもっと古い時代がオリジナルですが、

真田丸のアナザーストーリー的になればとこの時代を選びました。

 

そもそもは疑問を持つ

おじいさんとは?鬼?川で(巨大な)桃をすくうおばあさん?

めでたし、めでたしの前が少し残虐では?などでした。

 

両面から考える

勧善懲悪。非常に好まれますが、鬼とされている側からすれば、

いきなり人と動物に奇襲をかけられ、迷惑この上ない。

しかし、そうなっても仕方がないことを鬼はしていたのか、

民衆からすると喝采。

童話が寓話ならば、何かしらの意味はあるわけで、常に公平に物事を考える。

 

整合性をとる

鬼にも人格を与え、何故そうなったのか背景を考察。

桃太郎もなにゆえ川に流されることになったのか?

それを育てあげるに足る、力量をおじいさん、おばあさんが持っていたはず。

動物が部下・・、やはり達人。

できるだけ史実と思えるものにして、バランスを考える。

 

世代間のギャップ

おじいさん・おばあさんもいきなりそうなったわけではありません。

血気盛んな時期もあり、年長者への尊厳も必要。

しかし変わりゆく時代を生きる子供の自由な感性を、

年長者も自分の物差しではなく尊重。

そして時代の変化も理解。自分の引き際も理解。

 

根性

一度決意をしたならば、どんなに苦しくとも根をあげずやりぬく。

 

情報を整理

一方通行の情報に踊らされず、自分の目で確かめたものを信じて動く。

そして、

 

平和的な解決:どんなことであれ、やはりこれが一番大切。

 

こんなところでしょうか。

岡山発祥の桃太郎、この誇りで1部を記載しました。

岡山の誇り

2部以降は各地にある、桃太郎伝説の理由。

そして、フィクションならではですが、別の有名な物語につなげていきます。

素人ゆえの稚拙な文章です。

勝手に自分で始めたものをきちんと完結させていきます。

 

 

8月に入って、再開です。

それが、伸び伸び・・。架空の編集者に怒られないように頑張ります。

 

 

コアラ人