自分。

今日のお話
これで、

おはようございます。

まぁ、何も片付かずぐぅたらと昨日は過ごしましたが、少し回復。

僕が、自分の父親の事をはっきり覚えているのは彼が48歳の時です。

その頃8歳の僕は、大人って何だかすごいなあと感じていました。

子供なりに、父への疑問もありました。

と同時に今までにも記載していますが、うまくコミュニケーションを

父としていなかったので、よく彼を理解していなかった

そのまま時間が流れ、父も他界。疑問も消えず。

僕も研修医として仕事を開始。

病棟にも40代から50代の先生は当然たくさんおられました。

すごい大人というイメージを持っていました。

ですが何を考えているのだろうなという疑問がこれまた、いつもありました。

仕事を徐々に覚え始め、自分でできることもどんどん増え、何より順風満帆に

医師へと進んでいない僕は、勢いで仕事に集中。

そのころは、大人の先生は楽そうだなと不遜な考えをもっていました。

で、自分が48歳になって、当時とどう変わったのかを考えてみたくなりましたが、

なぁぁんにも変わっていないんですね。

精神年齢は、子供のままだと思います。

だからなのか、最初は全く興味を持っていなかった小児科になり、可能性が多い子供さん

にまみれることが天職と感じているのかもしれません。

父母考や、父の追憶の部分でも触れてはいますが、自宅で一緒にすごした時間の記憶が薄く、

今になって、当時の父を知る方々に伺い、かなり陽気な人物としてふるまっていたのだなと

わかってきました。

僕は、どこかで書いたかもしれませんが、かなりの人見知り

とにかく初対面の方の前では、緊張が解けないんですね。

ただ、親友ミスターUは、客観的にぼくを分析してくれるので、本気で行き、本気で反応がない

僕は静かになってしまうようですね。厳密にいうと人見知りではないと。

さすがと思いました。これだから、彼と飲むのは本当に楽しいですね。

そして、僕は浅く広くの付き合いは苦手だということがわかってきました。

自分の素がどの状態なのかわからないときもありますが、だらけている子供

これがおそらく僕です。だからこそ、必死に動いていないと、府抜けてしまう。

朝のルーティンも、こうしたブログも、そして診療も自分がしっかりする楽しみですし、

苦痛ではないです。

ただ、悲しいことに体は徐々に年齢を突き付けてきますが、業務は経験値とともに増えていく。

社会への貢献だとか、つながりなど(当然しがらみも)で増えていきます。

おっさんは、あまり楽ではないと気づきます。

ところが頭の中は、子供時代がベースになっているので文化の変化に急に驚いたり、寡黙になる。

もともとの人見知り風性格と合わさって、スイッチがオフになると黙り込む。

ああ、これが当時家での父の姿かな?と感じています。

他の病院の忘年会で踊ったり、どちらかといえばラテン的に動いているのがスイッチオンの状態。

オフは、

これ。

十分に休息をとってバランスを保っているんでしょう。

年齢を感じる出来事、例えば宝くじ

毎年買っています。今年も買いました。二十歳代と今とでは当たった場合の感じ方も違うと思います。

とにかくバブル期が学生時代だった僕は欲しいものだらけだったし、努力の意味も分からず自信満々。

当たれば、あれ買って、これ食べて、旅行して、パラダイス!みたいな感じだったでしょう。

はどこかへの寄付なんてのも本気で考えるでしょうね。

じゃあ、何故買うのかといわれると、その通り矛盾なんです。買わなきゃいい。でも買ってしまう。

幼稚な矛盾から抜け出していない。

人と同じものが嫌だという勝手さ。凝り性で、飽きやすい。

現在の自分に満足をしているかというとそうでもない。けれどもこんなものかと。

日々、懊悩です。父は、ひょっとしてこんな考えだったのかもしれないと思っています。

全てが親と同じになるわけではない。

子供の視点で反面教師にしているところもあるんでしょう。でも振り返って色々考えて、

今までの人生である一つの考えにたどり着きました。

明日、連続更新の最終日に記載しようと思っています。

駄文、すいません。

 

コアラ人