おはようございます。
年末がやってきました。異常なほどのインフルエンザ、ノロ。
平和に行くためにも、ゆっくりしているのがいいですよ。
僕は、おふざけも多いブログを書いています。
そのあとはご想像通り物体のようにゆっくりしているでしょう。
さて、さて、たどり着いた考え方です。
”物事に偶然はなく、全ては必然である”
これが、今の僕の根底にある考え方です。
そもそも、子供は親を選ぶことはできません。そして生まれた時から、ある年齢まで
自分では何一つできない。
この世の中に出てきたことが、まず必然。
その後歩いた道で、紆余曲折ありながら一つの結果になる、これも必然。
”ひょんなことから”世の中に出てきたわけでもなく、今の仕事を偶然しているわけでも
ないんですね。
僕の失敗は、その仕事にたどり着く目的意識がなかったことでしょうか。
親のおかげで進み、岡山の中で変な自信を持ち、さして目的もなくブランド的に大学。
すると、大学に入ることが目的になった、馬鹿な若造ができます。
努力をやめて、自らを天才と信じ込み、本来のだらけた自分が現れます。
その後は当然、すんなりと社会に出られる訳もない。
社会人浪人という誠に不安定な状態になるわけです。
そこでようやく気付いて、努力をすることの意味を理解し、国家試験を通る。
これも必然なんです。
これがなければ、ものすごく嫌な性格のままの人間でいたでしょうし、皆さんと出会っていることも
ない。今の場所で診療を行っていることもないでしょう。
当時の小児科の教授が入局を受け入れてくださったこと、ただし入局は?
学生勧誘係の先生に酒でつぶされて、バーのカウンターで届を書きました。
記憶もうつろで、ある意味詐欺です。僕は耳鼻科か、整形外科になりたかったので。
実習の時に、”いい大人が子供言葉で、恥ずかしい!”と思っていましたし、小児科は冷やかしで
見学に行っただけでしたから。
ですが、これも必然。
現在小児科を天職と感じ、優秀なスタッフに恵まれ独立し、僕を酔いつぶした勧誘係の先生のもとで、
勤務医最後の仕事をし、ついていこうと感じています。
すんなりと社会人になっていたら、こうした結果や出会いもないですね。
大学時代の親友、ミスターU。高校時代の親友、ミスターK。僕の車のコンシェルジェ、ミスターN。
江口小児科の立ち上げ、今までの過程で関わり、お世話になり今も親交の深い方々、そして信用と
信頼で僕の右腕として動いてくださっている、有能なミスターE。
僕程度の微力で、いくらかでも役にたっていればいいですが、大勢の子供さん。
誰とも出会っていないです。
たった1年過ぎても、全て違うものになっています。
人の脳は都合よくできています。嫌な事を消して進みますので、若い頃は良かったとなりますが、
僕は常に現在が一番、身の丈に合っているのだろうと感じています。
決して、偶然なんて思えません。もちろん、自分のだらけのため、色々な方に迷惑もかけてきました。
懺悔の小説などを書いているのも、そういう意味かなと思います。
若くして他界した父、当時理解できていなかった父と話し込むこともなく、突然消えました。
その時に、”親は永遠に生きている”という子供の身勝手さを感じたように思います。
そして、命にかかわり、親のアクセサリーではなく、無限の可能性を秘めた子供さんに
常に健康でいて欲しいと思い始めたと感じています。
父と話すことは、もう絶対にないので永遠の謎は残ったまま。今は父母考で書いた
小さく感じるようになった母に楽をしてもらいながら、話をきくことで自分のルーツ探し、
進む道捜しを続けています。
江口という家に、生まれたこと。やはりこれ自体が必然でしょう。
”親は子になり、子は親になっていく”、世代交代もしっかりとしていきます。
感染症に、行事に、習い事に、色々と頑固にも感じるような事を皆さんに伝えている
かもしれませんが、子供さんの無限にある道で必然のものを歩いて欲しいからです。
最後に自己矛盾です。
いつもメディアやネット批判をしている僕ですが、今の時代、記載したことは
永遠に消えない。
48歳の自分が、毎日何を考え、何をかてに動いたかの記録を残したかったので。
くだらないブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。
寒さが厳しいです。どうぞ皆さん良いお年を。
コアラ人