ふと、考えますね。父親とは。

今の悩むお母さん方へ
ゆっくり流すのがいいですなあ。

おはようございます。

昨日の雨の影響か、やはりじめじめしていますね。そして、今日も雨。

で、スイッチオフ

夏独特のけだるさ

まあ、ドラッグストアにあれこれ買いに行かないといけないので少し動きますが・・、

こう蒸し暑いと思考にふけることもあります。

冒頭の写真は、僕の父親が最初に買った車の画像ですが、その後の彼の車や嗜好。

僕自身で、よく似ているなあと感じる部分もありますね。

何も考えず、自分のコンセプト通りに知恵を絞り、協力を得て車をいじり、最終形になってきたとき、

ふと似たような車の載った雑誌を見ると父が乗り継いだ車が全部ありました。

意識したわけでもないのにと、驚きました。

ただ、以前”父母考”でも記載しましたが、新聞記者で40の時に僕が生まれ、64で世を去りました。

その間、大学にいったりしている時間も引くと、父と同じ屋根の下で過ごした時間は18年ちょっと。

ものすごく短い。

そして父をよく知らないのに、同じようなことをしている。

血は不思議だなとしみじみ思いました。生前そんな話もしていないです。

 

記者という仕事柄と、もともと家で寡黙だった事もあって、父の記憶が本当に少ない。

しかし、写真のマツダ キャロルの初期型ですが、おそらくというか僕も欲しいんですね。

これは僕が生まれる前の車なので、実際には乗っていないですが。

物心がついて、父の次の車で動くときに彼も僕もあまり話さず(仲が悪いわけではなく)、

車内は70年代のディスコサウンドであふれていました。

 

昨日は、実家に行って母と話しましたが、母から聞く父の人柄と僕が感じていたものが微妙に違うんですね。

もっと、もっと父と話をすればよかったなあと思います。

 

写真や遺品を見ていても、自分で言うのも変ですが”いいセンスしてるなあ”と思います。

最近は、回数が減っていますが、父親を知っている方の所に飲みに行って、伺うと陽気で場を盛り上げる人だったと。

自宅の寡黙さと真逆なんですね。

若いころの父の写真や、クラスメートからの寄せ書きなどもそちらの陽気な人だったとあります。

 

すい臓がんで他界する前の”尚彦、すまんかったなあ”の言葉の意味。

同じ家に家族として住んでいても、謎だらけだった父。

でも、今の自分は似ている気もしますし、現在の僕ならばもっと深い話をできたのかなと思います。

 

大したものではありませんし、尊敬する先輩方の忙しさには及びませんが、

僕も医師会の役員コースを最低4年行きますが、そのアドバイスなども欲しい。

他人の思惑で入ってくる父の姿を鵜呑みにするだけではなく、自分の目で、言葉で聞きたかった疑問は山ほど。

 

でも残念ながら父は、もういません。母親孝行をしながらの父親捜しはずっと続きそうです。

“氏より育て柄”と言いますが、遺伝子は絶対でしょうね。

一番、迷走している部分でしょうか?今になって、父に会いたい。

もう、二度と会うことができないのですから。

 

会って話ができる子供さんは、深く父親や母親と話してみると意外な面が見えてきますよ。

 

これも不思議ですし、自分もそうだったからですが、中・高時代。

いわゆる”センパイ”は絶対的な存在。たった1歳しか違わないんですけどね。

体格差、実力差もあるでしょうし、文化や流行に敏感というのもあったんでしょうか。

そして、それよりもかなり上の人、僕の場合はすべて”おっさん”ひとくくりでいました。

 

しかし、流行の方向性も内容も全部、大人が作り出しているわけで、踊らされているだけ。

それが思春期です。肩パットの写真は、全て封印です。

 

もし、仮にいま流行の方向性を作らせてもらえるならば、旬なアーティストさんに、次々と

昭和のベストテン的な歌をカバーをしてもらい、番組も作り、情報番組であおり、ファッションならば

男子”ちょんまげ”風カット、女子なら”舞妓さん”風メイクを連打し、SNS映えするようなスポットで

がんがん流して、文化を発信してみますね。

やっていただく人によっては、ものすごい流れになりかねませんから。

なんて、考えている大人の思惑通りに動いているのが中・高生ですよ。すいません、それました。

 

テレビでやるのとは違いますが”家族って何だろう”。

できるうちに色々とやることは大切と思います。

 

子供の目線でみた、30代の母、40代の父。記憶に残っていますが、思春期に近づくにつれ、

特に、同じ家に住んでいたのに父の記憶が薄れている。

だから、どのような状況でも自分で理解できるころにはしっかり話してみる事も大切です。

少なくとも、僕は父と話さなかったことを後悔しています。

育児では、お母さんの大変さには本当に頭が下がります。

同時に、外で色々な思いをおなかにしまい込みながら仕事をしている

お父さんの強さにも敬意を払います。

 

おっさんになり、子供として自分の親の事を深く考えるようになりました。

 

”父母考”は、永遠のテーマでしょうな。

すいません、オフの戯言です。

明日に、しっかり備えますよ。

コアラ人