父母考 哀

父母考

冬休みも終わりに近いですが、あまり大笑いができない。

人の生命、短い方が良いのか、長寿と呼ばれる高齢がよいのか。

医師の立場で分からなくなっています。

父の記憶は彼が63歳のときで止まっています。

母は、毎日、少しずつできることが少なくなり、小さくなっていきます。

医院の冬休みは実家で過ごしましたが、同じ昔話を聞き、なぜ僕が昼間実家にいるのか、

そのあたりもわかりにくくなってきています。

悲しくもなり、また長生き賛辞への疑問、小児と対極の世界に対してとまどい。

人生100年時代。

本当によいのでしょうかね?

僕は、あと17年くらいでさっと幕引きができればいいのかなと思って

しまいます。

独り身、兄は岡山県外。介護の難しさを感じています。

母にとって、現在は幸せなんでしょうか?

わからない。太く短く、僕は行きたい。母と電話か、実家にいくか、有事に急ぐかを

5年しています。

昨日、母とお正月をして、ゆっくり話して過ごしました。

その記憶もあいまいになっている今朝。

表現のしようがない感情になりました。母が幸せな状態を探さなければ。

87歳。あと少しで米寿。

寿ですが、あまり食べられなくなってきています。どう祝おうか。

頭の中がごちゃごちゃです。人生の幸せがわからない。

来年も”父母考”を記載できれば・・。

 

コアラ人