父母考 その後

父母考
何にも考えずゆったり。

2017年に初めて父母考を記載しました。

小児科医として、赤ちゃんの劇的な変化にうれしさを感じる日々ですが、

逆を飲み込む時期も必要なんだと気が付いてきました。

 

現在、岡山市医師会の役員をさせていただいておりますが、普段小児科では深く

掘り下げることのない内科の先生方が取り組まれている分野に触れることができて

よい刺激になっております。

 

まずは、高齢者の虚弱防止の”フレイル”。

高齢者自身が、自らの肉体的・精神的状態をチェックシートで判断して状態に応じて、

地域の集まりに参加したり、介護への方向を模索していくことです。

決して、孤独にしてはいけない、ということです。

 

次が、”8050問題”。

50代の子供世代が、80代の親世代を介護、もしくは支援する状況が増えていることです。

子供も働き盛りの頃です。足が遠のきがちですが高齢者を、

決して、孤独にしてはいけない、ということです。

 

最後に”生前前意思”の必要性。

これも高齢者の尊厳を考え、決して、孤独にせず、家族で話し合い来るべき時、そして、

その後に関して尊重するということです。

 

最初の父母考から3年の月日が経ちましたが、母が日々子供にかえっていく様子が分かります。

少し寂しさも感じていましたが、そうあるべきなのだなと今は理解しています。

僕が小さいころ、どのように楽しませようかと考えてくれていた母。

今は、どうすれば母が喜ぶかを真剣に考えています。

 

 

母は、もともと丈夫で、それは大変良いことですが年齢的に友人たちがいなくなっています。

父はもう25年前に他界しました。

凄いことですが、母はその後自分の決め事で暮らしてきたわけです。

 

一日、生活をして感じたことを誰かに伝える。

大切なことですし、これは息子である僕の使命と思っています。

おととしの年末から毎日、電話か実家で母と話します。

時にリクエストして料理を出してもらっています。

僕が高校生くらいの頃の量を作ってくれますが、ありがたく食べています。

今までの人生で最も母の言葉に耳を傾け、真剣に向き合っています。

 

ストイックに一人での生活を続けていますが、人の生活にはどこかでエンディングが訪れます。

もちろん僕もいずれそうなるわけですが、育ててもらった恩を返し、

親孝行をするにはどうすることがよいか。

母の生活に尊敬と理解を示し、小さくなった母を支え夢だけを見ていてもらうことが大切と

考えています。

 

現実的な僕の理念や極めるための荒波は見せず。

 

この年齢で、まだ母から教わることもありますし大切に考えることが重要だという基本を

感じています。

 

息子の未来を、いかに真剣に考え正しく導こうかとしていたこと。

子供をお金としか考えない大人からさけようとしていたこと。

自主性を持たせ、自らの苦労は見せず支えていてくれたこと。

 

今の小児科医としてのストイックさはそこから来ているのだなと感じました。

仕事が忙しい。これは皆そうで、心を亡くして日々の事のみに専心するのは片手落ちかな

というのが持論。みながそうだとは思っていませんが。

 

本当に小さなことで大喜びをしてくれ、ちょっとしたイベントを心待ちにしてくれる母を見て

すべきこと、自分の進む道を再認識しています。

 

3日は平日でさすがに無理でしたが、明日実家に恵方巻をもっていき親子で節分です。

ものすごく楽しみにしてくれています。

 

僕の親孝行の旅は、できるだけ長く続けていきたいところです。

いや、続けるように母に楽しみを持って生活をしてもらおうと思います。

子供は、母親の姿勢を忘れませんよ。

彼、彼女たちにとって何が一番か考えていただければと思います。

その子たちが将来皆さんを助けてくれますから。

 

日本の文化で中々口にしないことかもしれませんが、僕は母が大切です。

 

朝から長文すいません。